SSブログ

Ring 'O Records 06 Suzanne 01 [リング・オー・レコード]

1977年10月21日には、スザンヌ(Suzanne)と名乗る女性歌手のこの曲がリリースされます。カールさんの「Face of a Permanent Stranger」リリースが予定より三週間遅れてしまったため、こちらの方が一週間早いリリースなのにレコード番号は後という次第です。

2017 108a.jpg2017 108b.jpg

2017 108c.jpg2017 108d.jpg

Born on Halloween c/w Like No One Else by SUZANNE (2017 108)

A面の作詞/作曲/コーラス/プロデュースは、元アージェント(Argent=元ゾンビーズ(The Zombies)のロッド・アージェント(Rod Argent)氏が中心となって組まれたバンド。72年ビルボード最高位5位の「ホールド・ユア・ヘッド・アップ(Hold Your Head Up)」が有名)で、この頃はバンドを抜けソロ活動をしていたラス・バラード(Russell Glyn Ballard)氏。グラハム・ボネット氏がレインボーで78年にヒットさせた「シンス・ユー・ビーン・ゴーン」の作者でもあります。

リング・オーつながりのエピソードとしては、バラード氏は74年、自身の名前を冠したファースト・ソロ・アルバム「Russ Ballard」をリリースしており、録音場所がロンドンのCBSスタジオ。その頃そのスタジオに勤めていたCoronelのダグさんが4曲目の「You Can Do Voodoo」にバック・コーラス隊の一員= Peter, Doug and Damion of CBSとしてクレジットされているようです。

ライナーに書かれているリズム隊はアージェントのメンバーですが、オルガンのC Hodges氏が気になります。ひょっとするとアップルから72、73年にシングル2枚をリリースしたChris Hodge氏だったりして。

この楽曲も以前ようつべで聴けた記憶があるのですが、今はみつからず。出たての頃のオリビア・ニュートン=ジョン嬢がよく歌っていたようなカントリー・タッチの軽快な曲で、いかにもリンゴが好きそうな曲調。ちなみにスザンヌ嬢は1951年3月20日生まれで、ハロウィン生まれではありません。

B面の「Like No One Else」の作者はCarson Whitsett氏という米国人。スタックス系のセッションマン(オルガン)及びソングライターとして活動していた人だそう。こちらもいかにもなシンコペの効いた軽快ポップスです。
どちらの音源もまだCD化やデジタル配信はされていません。

このスザンヌ嬢というアーティストもネット黎明期までは謎のアーティストでした。ライナーに色々有益な情報が書かれてはいるのですが、ネットの無い時代ではニュージーランドの女性歌手なんて調べようが無いし、ネット黎明期でも「Suzanne」と検索するとヒットするのはスザンヌ・ヴェガ(ちょうどその頃人気者)嬢ばかりという状態。2000年代になってご本人のホームページを見つけ、活動のあらましが明らかになりました。

キーワードとなったのは「Suzanne Lynch」というフルネーム。一枚前のカールさんのシングルでベースとプロデュースを担当していた、同じニュージーランド生まれのBruce Lynch氏の奥様だったのでした。その他にも Suzanne Donaldson(旧姓)、Sue Donaldson、Suzy Donaldson、Sue、Sue Lynch、Suzi Lynchなどなど、様々に名前を使い分けていたみたい。

ニュージーランドで幼い頃からシンガーとしてのキャリアを積まれたスザンヌ嬢は、地元のミュージックシーンで活躍中のブルース氏と恋に落ちてご結婚され、70年代前半には英国に活動の場を広げて、やがて拠点を英国に移し、主にバッキング・ボーカルのセッション・シンガーとして活躍します。

ライナーで目を惹くのは、Bonesというユニットでジェット・レコードからリンジー・ディ・ポール(Lynsey De Paul)嬢のプロデュースによりシングルを出したという記述。リンジー・ディ・ポール嬢というとこの頃、リンゴとのゴシップが囁かれていたコケティッシュな女性シンガーソングライター、わたくしもファンでした。

2001 576a.jpg2001 576b.jpg
2001 576c.jpg2001 576d.jpg

75年発売の、その楽曲がこちら「My One And Only c/w Baby Don't Make Me Cry by BONES(2001 576)」。スザンヌ嬢はジャケット真ん中の女性。あとのお二人のお名前は、ニュージランド出身のJoy Yates嬢と米国人のJackie Sullivan嬢だそうです。
画像はイタリア盤で伊ポリドールからの発売。A面レーベルのシール「VENDITA VIETATA」はイタリア語で「非売品」を意味する言葉なので、プロモ用に配られたものでしょう。

リンゴとリンジー嬢が初めて公の場でラブラブ振りを見せつけたのは75年暮れの映画プレミア出席でした。このシングルはレコード番号から75年の早い時期に発売されたっぽく、このレコードでのリンゴとの接点は無さそうですが、リンジー嬢経由でこの頃にスザンヌ嬢を知ったのかもしれません。

CECC00192a.jpgCECC00192b.jpg

上の画像は、76年リリース予定だったのにジェット・レコードとモメてお蔵入となったリンジー嬢のオリジナル・アルバムを91年、日本のCenturyRecords主導でCD化したもの。

「My One And Only」のご本人歌唱バージョンが入っている他、リンゴと関係のある楽曲が2曲あります。まずタイトル曲の「Before You Go Tonight」は元々リンゴのアルバム用にリンジー嬢が書いた曲だったそうなのですが、リンゴは英国の重税逃れのため年間90日しか英国に滞在できなかったので、レコーディングまでいかなかったとか。また「If I Don't Get You the Next One Will」は、リンゴにディナー・デートをすっぽかされたことがきっかけで作った曲だそう。76年当時は、この曲のシングル盤のみがジェット・レコードからリリースされました(日本では未発売)。

JET774aa.jpgJET774c.jpg

この時期リンゴは、リンジー嬢がプロデュースを手掛けた英国の大ベテラン(1917年生)女性シンガー、ヴェラ・リン(Vera Lynn)女史76年リリースのシングル「Don't You Remember When」(作詞/作曲はリンジー嬢とBarry Blue氏の共作)のレコーディングでタンバリンを叩いたり、未発表に終わりますが「A&E」という、リンゴがギターでAとEしか弾けないことをネタにした楽曲を共作したり、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」が英国チャート1位となったパーティに仲良く二人で現われるなど、束の間のロマンスを愉しみますが、前述の英国滞在日数期限切れにより、あっさりフェードアウト。ロスで待つナンシー・アンドリュース嬢の元へしれっと戻りました。

話をスザンヌ嬢に戻します。彼女のキャリアでもうひとつ注目したいのがキャット・スティーブンス氏とのお仕事です。74年3月リリースのアルバム「仏陀とチョコレート・ボックス(Buddha And The Chocolate Box)」からのおつきあいで、ブルース氏がベース、スザンヌ嬢はコーラス隊の一員として夫婦揃って参加しています。

そのアルバムからのファースト・シングルが日本でもヒットした「オー・ベリー・ヤング(Oh Very Young)」。1分20秒過ぎの「And the goodbye makes the journey harder still」でハモる凛とした女声はスザンヌ嬢によるものです。

AM211a.jpgAM211b.jpg

更にこの年のキャット氏のツアーにも夫婦揃って同行し、74年6月21/22日の来日公演が当時は日本のみでライヴ盤LPリリースされています。内ジャケ(レコード袋)裏面のクレジットはSUE LYNCH名義。

GP228aa.jpgGP228bb.jpg
GP228c.jpg

スザンヌ嬢を調べていてもうひとつ、興味深い事柄がみつかりました。

217077_8.jpg

上画像は、77年5月1日からの北米以外での配給権をポリドールと再契約した、というリング・オーのプレスリリース。写っているのはリンゴと、当時の英ポリドール広報責任者だったMike Hales氏、ポリドールでA&Rマネージャーを勤めリング・オーの統括責任者となったTerry Condon氏、そして76年にキース・ムーン氏から贈られたというでっかいパンダのぬいぐるみ。このパンダはリング・オーの「取締役会々長」とされ、すべての会議に出席しており、出席者のうちMike Hales氏はポリドール側ですから、残りの3名がリング・オー・レコードの重役だったようです。

ここに出てきたTerry Condon氏なる人物をググると面白いエピソードがありました。1966年、ビートルズが「リヴォルバー」セッション中の5月に「イエロー・サブマリン」に着手。6月1日にお馴染みの効果音と合唱のオーバーダビングをするのですが、その参加者の中にTerry Condonという名前が出てきます。

複数の記述を総合すると、当時のEMIスタジオ(現在のアビイ・ロード・スタジオ)従業員だったJohn Skinner氏とTerry Condon氏がチェーンをバスタブの中で振り回して水流の音を作った、というもの。

上記プレスリリース中にTerry Condon氏28歳とありますので、77年マイナス66年で11年前は17歳。デヴィッド・ヘンチェル氏も17歳位からスタジオで働いていたようですから、同一人物だとすることもありえない話ではありません。

更に掘っていくと、Terry Condon氏は72年にニュージーランドのPolyGramのディレクターとしてすでにスザンヌ嬢のシングル盤制作に関わっており、更に現在もニュージーランドPolyGramの重役であるとの情報もあります。となるとTerry Condon氏もニュージーランド出身の方のようですし、スザンヌ嬢のリング・オー・リリースもPolyGram≒ポリドールの意向が働いていたのかもしれません。

と、思っていたよりずいぶん長くなってしまったので、スザンヌ嬢のニュージーランド時代や現在のことは、スザンヌ嬢のもう一枚あるリリースの項につづきます。

リンジー・ディ・ポール嬢は、2014年10月1日、脳出血のため66歳の若さでお亡くなりになられました。Rest In Peace.
また、ヴェラ・リン女史も、2020年6月18日、103歳で永眠されています。Rest In Peace.

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
Ring 'O Records 03 C..Ring 'O Records リング.. ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。