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Ring 'O Records 05 Graham Bonnet 01 [リング・オー・レコード]

1977年3月、改めてポリドールがリング・オー・レコードの全世界配給権契約を更新(おそらく予算は大幅に縮小されて)し、リスタートすることになります。

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その第一弾アーティストがグラハム・ボネット(Graham Bonnet)氏。英国で77年5月27日に「It's All Over Now Baby Blue c/w Heroes on my Picture Wall (2017 105)」というシングル盤をリリース。リング・オーとしてはおよそ一年半振りの新譜リリースとなります。

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グラハム・ボネット氏は、一連のリング・オー・アーティストの中では洋楽ファンに一番知名度がある人でしょう。後の79年に元ディープ・パープルのリッチー・ブラックモア(Ritchie Blackmore)氏がリーダーシップを取るハード・ロック・バンド=レインボー(Rainbow)の二代目ボーカリストとして迎え入れられ、アルバム「ダウン・トゥ・アース(Down to Earth) 」に参加。シングルカットされたラス・バラード (Russell Glyn Ballard)氏作のカヴァー曲「シンス・ユー・ビーン・ゴーン(Since You Been Gone)」が全英6位、全米57位にチャートイン。レインボーからはこのアルバム一作で脱退するも、その後マイケル・シェンカー・グループ(Michael Schenker Group:M.S.G.)、アルカトラス (Alcatrazz)、インペリテリ (Impellitteri)とハード・ロック、ヘヴィ・メタル畑を渡り歩き、現在も活躍中ということで、バイオグラフィも詳しいものが多々みつけられます。wikiとか。

なので、レコーディング・メンバー等の解説などは、この先順を追って画像で載せていくアルバムのジャケットやライナーノートをご参照ください。例によってレコーディング現場でのリンゴの関与はまったくありません。

A面はボブ・ディラン御大65年発表超有名曲のカバー。B面はこのレコードのプロデューサー、ピップ・ウィリアムス氏と彼の曲作りの相棒だったピーター・ハッチンス(Peter Hutchins)氏の共作による書き下ろし楽曲。
この時期のボネット氏の音源は様々な配信サービスで取り扱われていますしCD化もされているので、タイトルとアーティスト名で検索すれば容易に聴けるはずです。

さてこのシングル盤、リスタート一発目で気合が入っていたのか、英国以外でも豪州、フランス、オランダ、ポルトガル、ニュージーランド、旧ユーゴスラヴィア、そして日本でもリリースが確認されています。ただし英国以外はポリドール≒ポリグラム系列のマーキュリー・レコード(Mercury Records)からのリリースで、マーキュリーからのリリースではレーベルやジャケに一切リング・オーの記述はありません。ポリドールさえもリング・オー・レコードというブランドに価値を見いだせなくなったご様子。て言うか、マーキュリーは元々米国のレーベルだったのに、このレコードは米国ではリリースされず(米国でもマーキュリーからリリースされた(6001 108 この番号は日本とユーゴ以外他国のマーキュリー・リリースと同じ)という未確認情報もありますが)、更に言えば、この後のリング・オー・アーティストはシングル、LP合わせ一枚も米国ではリリースされませんでした。リンゴと関係を保っていたアトランティックも我関せず状態。

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上の画像はオランダ盤(6001 108)の表裏。

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こちらは日本フォノグラムのマーキュリーレコード(レーベル)から出た日本盤(SFL-2210)。
表題曲は後に日本盤もリリースされるアルバムの一曲目でもあるのですが、アルバムのライナーではディラン御大準拠の「すべてはおしまい」という邦題表記、シングルリリース時は原題のカタカナ表記。確かにこれから売り出そうとしているソロアーティストの本邦デビュー曲がその邦題では売れるものも売れなそうな気もします…

わたくしが入手できたのは見本盤で、どこかの有線かラジオ局からの放出品でしょう。ジャケ右上のシールに「ポ く 25-1」とあります。おそらく「ポ」はポピュラーのポと思われます。当時、洋楽はポピュラー音楽、邦楽は一般的なのが歌謡曲、若者向けはニューミュージックと呼ばれていました。で、「く」はグラハムさんの「く」、つまり、か行の三文字目「く」の26番目のアーティストの1枚目(25番はグラハム・パーカー氏?)、と解読しました。レーベルに「52.9.29」というスタンプがあるので、昭和52年=1977年9月29日までにはリリースされていた模様です。盤面はかなり綺麗なので、あまりオンエアはされなかったみたい…

ところがところがこのシングル、オーストラリアとニュージーランドでどちらもシングル・チャート最高位3位の大ヒットを記録します。リング・オーにとっては初めての「成功」と呼べる快挙です。

そして、ここまでリング・オーの変遷を見てくると、頻繁にオーストラリア=豪州という言葉が目につくことに気づきました。その辺を踏まえて、この後も何回かつづくであろうボネット氏の項(リング・オー・アーティスト中ボネット氏のリリースが一番多い)では、リング・オーと豪州という観点で考えてみたわたくしの私見を述べてみたいと思います。


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