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Ring 'O Records 03 Carl Groszmann 02 [リング・オー・レコード]

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Face of a Permanent Stranger c/w Your Own Affair by Carl Groszmann (2017 107)

1977年10月28日には、カール・グロスマン氏にとってリング・オー二枚目のシングルが英国でリリースされます。

グラハム・ボネット氏のリリースから始まったジャケ裏ライナーには、カールさんの出自がかなり詳しく説明されていますが「I've Had It(2017 103)」でも触れたように今作がリング・オーでのデビュー作とされちゃっています。また、ライナーには10月7日リリースと書かれていますが、実際には三週間遅れ、と相変わらずのグダグダ感。ノルウェーとスウェーデンでも同カップリングでリング・オー・レーベル名義でリリースされたという未確認情報もあります。

今作もオフィシャルでのデジタル化や配信は無いですが、ようつべでタイトルとアーティスト名で検索すればA面曲は、楽曲がフルで聴ける静止画動画が二種類ほどありました。

レコーディング参加メンバーでビートルファン的に目を惹くのは、ギターに翌年ウイングスに参加することとなるローレンス・ジューバー(Laurence Juber)氏。ジューバー氏はこの頃、英国ミュージックシーンで売れっ子セッションマン、この年の007映画で後にリンゴの奥方ともなるバーバラ・バック(Barbara Bach)嬢がボンドガールとして出演した「私を愛したスパイ(The Spy Who Loved Me)」のサントラにもギターで参加しています。あと、ドラムにもジョンやジョージのアルバムでお馴染みのアンディ・ニューマーク氏のお名前が。

そしてベースとプロデュースを兼任されたブルース・リンチ(Bruce Lynch)氏が本作のキーパーソン。この人のお名前とここでのご紹介を覚えておいていただけると、この先のリング・オー・リリースのご紹介がよりスムースとなります。

1948年にニュージーランドで生まれたブルース氏は元々ジャズ・ベーシストだったらしく、故郷の音楽シーンでセッションマンやプロデューサーとして活躍した後の74年に英国に渡り、キャット・スティーヴンス(Cat Stevens=77年にイスラム教へ改宗し以降ユスフ・イスラム(Yusuf Islam)として活動)氏のバッキングメンバーとして活躍。ジューバー氏と一緒に「私を愛したスパイ」のサントラにも参加している他、78年には英国が生んだ異彩の歌姫=ケイト・ブッシュ(Kate Bush)嬢のデビューアルバム「天使と小悪魔(The Kick Inside)」でA面二曲目、ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモア氏が制作指揮を取った「サキソホーン・ソング(The Saxophone Song)」でべースを弾いています。また79年には前年にラトルズのテレビショーで名が売れたニール・イネス(Neil Innes)氏のソロ名義三作目「ブック・オブ・レコーズ(Book Of Records)」でもA1からB2までの七曲のベースを弾いています。

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上画像は、2004年日本のMusic Scene Incorporated(MSI)から紙ジャケCD化されたときのもの(MSIG0102)。

さて、カールさんが豪州のミュージックシーンにデビューしたのは1965年、スティーブ・アンド・ザ・ボード(Steve And The Board)という5人組のバンドにCarl Keatsという芸名でギター&ヴォーカルとしての参加でした。このバンドは65年から67年の間に豪州のローカルレーベル「Spin」から6枚のシングルと1枚のアルバムを残しています。

このバンドのリーダーであったスティーブという人は、フルネーム=スティーブ・キプナー(Steve Kipner)、1950年生まれの米国生まれ豪州育ち。65年に豪州で自作曲を歌うリードシンガーとしてバンドを組み、父親がソングライター兼プロデューサーで、既にSpinレコードをも立ち上げていたせいもあり、割とあっさり豪州ミュージックシーンにデビューし、人気も得ます。Spinには極初期のビージーズも在籍していたのでスティーブ・アンド・ザ・ボードのメンバーはギブ兄弟とも仲良くなりますが、紆余曲折あった末ザ・ボードは解散、67年に英国へと戻ったビージーズの後を追うように、キプナー氏も68年に英国へと渡ります。なお、ザ・ボードのドラマーだったColin Petersen氏はその後、英国に拠点を移したビージーズのバッキングバンドに抜擢されました。

スティーブ・キプナー氏は、豪州で知り合っていたシンガーソングライターのSteve Groves氏と英国で、Tin Tin(当時日本のレコード会社から一枚もリリースされていないため、カタカナ表記は不明ですが、おそらくチンチン、ティンティンではなくタンタン=当時人気だったベルギー生まれの作家Hergé氏による「タンタンの冒険(Les Aventures de Tintin )」というコミックス=絵物語=バンド・デシネ(Bandesdessinées)と呼ばれる読み物から採られたとされるので)というユニットを組み、例によって豪州閥は疎にして漏らさずなロバート・スティグウッド氏の目に止まりレコードデビュー。

一作目はモーリス・ギブ氏、二作目はリンゴと73年に楽曲共作することになるBilly Lawrie(英国の人気女性歌手で73年までモーリス・ギブ氏の奥方でもあったルル(Lulu)嬢の3つ年下の弟さんでシンガー)氏のプロデュースのもと、70年、71年と二枚のアルバムをポリドール・ATCOからリリース。二枚目のアルバム「Astral Taxi」にはカールさんも参加しています。

で、このTin Tinというアーティスト名に「おやっ?」と反応された人とは美味しいお酒が飲めそう。

70年代初期にビートルズの未発表曲として海賊盤で紹介され、後の85年、オノ・ヨーコ未亡人が故人のテープ整理をしていた際にすっかりジョンの作品と思い込み米国で著作権登録の申請をしてしまったという「Have You Heard the Word」という楽曲の作者であり録音の首謀者がTin Tin。

実際は、モーリス・ギブ氏プロデュースのTin Tinの新曲としてキプナー氏たちが用意していた楽曲だそうで、69年8月、そのリハーサルセッションにモーリス氏と当時の妻のルル嬢、弟のBilly Lawrie氏がジョニー・ウォーカーのボトル(知っているとは思うけれど老舗スコッチ・ウイスキーの銘柄。ジャック・ダニエルだったという説もあり)を持って訪れたのが発端でした。

あっさり呑んだくれたメンバー達は悪ノリし、すでに録音されていたTin Tinによるバッキングトラックに、両スティーブ氏に加えてモーリス・ギブ氏とBilly Lawrie氏がビートルライクにリードボーカルはジョン風、コーラスもファブフォー風、ベースもポール寄りに弾き倒してオーバーダブ、プレイバックを聴いて参加者全員いいじゃんいいじゃんと大笑い、ああ面白かったという顛末。リリースする気はまったくなかったようなのですが70年、なぜだか英国の当時マイナーなBeaconレーベルからThe Futというバンド名で「Have You Heard The Word c/w Futting (BEA 160)」としてシングル盤リリースされてしまいます。B面曲はレゲエ≒スカ・チックなインスト曲で、A面のセッションとはまったく無関係=作者(レーベルの名義はThe Fut)及び演奏者不明、とされています。

リリース当時は当然、まったく注目されなかったのですが、そのビートリーなサウンドに目をつけたブートレガーがビートルズの未発表曲というふれこみで3年後、ビートルズの映画からの音源やラジオのエアチェック音源等と組み合わせ、未発表音源集の目玉として海賊盤リリースしたことにより、現在に至ります。

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上画像は90年代にビートルライクな歴代のフェイク音源を中心に丹念に集めた(おそらく日本製の)ブートCD。

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そしてこれは、わたくしが80年代に確か名古屋の中古屋さんで500円くらいで入手したシングル盤。「うわ、こんなレア物がこんな安価で」と喜んでいたのですが後年、米国製のパイレート盤と判明しました。確かにBeaconレーベルじゃないしB面のタイトル違ってるし(両面とも音源はBeaconオリジナルと同じでした)。

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「Have You Heard the Word」にカールさんは全く関与していないのですが、ビーヲタ的にこの顛末はご紹介しておきたいと思い、長々と書いてしまいました。

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そしてこちら、2004年に英国のリイッシュー専門レーベルCastle Musicから出たビージーズのカバー楽曲類を集めたコンピレーションCD「Maybe Someone Is Digging Underground - The Songs Of The Bee Gees(CMQCD 963)」で、めでたく正規にデジタル音源化されました。

まとめの意味で、スティーブ・キプナー氏の一番ポピュラーな大仕事、81~82年、オリヴィア・ニュートン=ジョン嬢の大ヒット曲「フィジカル (Physical)」の作者としてお名前を連らねていることを書き添えて、この項を終わらせていただきたいと思います。

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なお、ギブ三兄弟では一番年下だったモーリス氏ですが、2003年1月12日、病気の手術中に53歳の若さで亡くなられています。Rest in Peace.

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