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Ring 'O Records 04 Colonel (Doug Bogie) 01  [リング・オー・レコード]

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Cokey Cokey  c/w  Away in a Manger  by  COLONEL


1975年11月21日、カールさんのシングル盤から一週間遅れで英国リリースされたのがこの作品。この「Colonel」と称するバンド?ユニット?単独アーティスト?が一体何者なのか、日本では長い間謎に包まれていました。

後にご紹介する米国盤によってアーティスト名が「Colonel Doug Bogie」であることは知られていましたが、後年、インターネットの普及による各国からの情報やご本人からの発信もあり、その正体が徐々につまびらかになりました。

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一番決定的だったのは、2010年に英国Aurum Press社から出版されたMark Blake氏著のクイーン(Queen)伝記本「Is This the Real Life?: The Untold Story of Queen」。
この著作によってDoug Bogie氏なる人物は、ジョン・ディーコン(John Deacon)氏のひとり前のベーシストであったことが明らかにされました。

この本の記述と、その後のネット情報等を総合すると、1971年1月、当時のベーシストに脱退されてしまったクイーンが英国の音楽誌「メロディ・メーカー」のメン募欄に募集をかけたオーディションにダグ・ボギーさんがレスポンスしたことが始まりでした。
そのときダグさんは17才で地元スコットランドのセミプロミュージシャン。結果見事採用され、フレディ、ブライアン、ロジャーのラインアップなバンドに迎え入れられます。
バンドのギグに参加したのは2回だけ。最初は71年2月19日、60年代からつづく由緒正しき英国ロックバンド、プリティ・シングス(PrettyThings)の前座として。2回目は翌2月20日、英国プログレ界の雄、イエス(Yes)の前座としてキングストン工科大学でギグを行ないました。

そしてこのギグの後、反省会の楽器車内でダグさんはフレディ氏からNGをくらってしまいます。
フレディ氏は、バンドのバランス的にどっしりと構えた落ち着いたベーシストがご所望だったようで、一方ダグさんは当時17才(他方フレディ24才、ブライアン23才、ロジャー21才)、若さに任せて飛んだり跳ねたりの奔放なステージアクションが自身の持ち味だと思っていたのでした。結果フレディ氏から「すべてがひどい」「時間の無駄だ」という評価を下され、ブライアン氏からも良い顔はされずクビになったのでした。
明けて3月にジョン・ディーコン氏(当時19才)が後釜に座りクイーンの快進撃は始まります。ちなみにクイーンの歴代ベーシスト来歴は、Mike Grose氏、Barry Mitchell氏、 Doug Bogie氏、でJohn Deacon氏となります。

当時大学生だったダグさんは、電話回線技師見習などのバイトをしつつ、PAミキシングやレコーディング・エンジニアの勉強をつづけ、20才の頃にロンドンの由緒正しきコンサートホール、レインボウ・シアター(Rainbow Theatre)にオーデイションの末PAミキシング担当として採用され精進、更に英国のCBSスタジオ等レコーディングスタジオでもエンジニア見習として働き始めます。

有名どころとの仕事としては、英国のシンフォニックなプログレ・バンド、ルネッサンス(Renaissance)74年リリースのアルバム「運命のカード(Turn of the Cards)」にアシスタント・エンジニアとして、ジャズロック系プログレ・バンド、ソフト・マシーン(Soft Machine)75年リリースでジャケのイラストが可愛らしい(ちなみに私はバンドのことはよく知らずにこのアルバムを当時ジャケ買いしました)「収束(Bundles)」ではテープ・オペレーターとしてDoug Bogieの名前でクレジットされています。

そんなお仕事の合間に作っていた自身のSFチックでシリアスなコンセプトアルバムのデモテープがリンゴの耳に届き、お遊びでついでに作ってあったこの楽曲デモをえらく気に入ってくれたのが、当時リンゴとよくつるんでいた飲み友達でリンゴが最もリング・オー・レコードに引っ張りたがっていたけれどRCAが手放してくれなかった、著名シンガーソングライター、ニルソン(Harry Nilson)氏。
そんな経緯でボギーさんは、リング・オーとシングル一枚だけのリリース契約を決めました。アーティスト名である Colonel(カーネル=大佐という意味)もニルソン氏の発案だとか…ベタに「ボギー大佐」という洒落ですね。

この音源も現在までオフィシャルでのCD化、デジタル音源化はされていないと思います。以前はYouTubeで聞けたりもしたのですが今は無いみたい。

A面の「COKEY COKEY」は、もともと欧米キリスト教圏で「Hokey Cokey」やら「Hokey Pokey」と呼ばれる19世紀頃からの英国伝承歌で、「左手入れて、左手出して、入れて出して入れて出して振り回して」という歌詞の通り、振りつけの付いたフォークダンス的楽曲です。伝承歌ゆえメロや歌詞も時代とともに色々変わっていくのですが、1942年に北アイルランド出身のJimmy Kennedy氏が「この歌詞の著作は私だ」と「COKEY COKEY」というタイトルで著作権登録された楽曲のカバーとなるのがこの音源です。

ダグさんのアレンジでは、ゆったりレゲエチックに心地よくレイドバックした感じで料理しています。タイムは約3分20秒。
ちなみに79年には英国グラム系パワーポップ・バンド、スレイド(Slade)が同曲を「Okey Cokey」というタイトルで、ほぼ同じ歌詞とメロディをストレートなロックサウンド大騒ぎアレンジにてシングル盤発売していました。

カップリングの「AWAY IN A MANGER」も19世紀発祥のキリスト降誕を歌った、これまた欧米圏で極めてポピュラーなクリスマスキャロル。同じタイトルで二種類のメロディがあるようですが、ダグさんのバージョンは「讃美歌21-269 飼いば桶にすやすやと」というタイトルで知られる方のメロディをパワーポップ全開なノリノリエイトビートでカバーしています。タイムは約2分55秒。
こちらの音源は以前、ドラムがリンゴでギターはクラプトン、という噂もありましたが実態は違うようで、その噂に対して、売れ残ったシングル盤を捌くためにレコード会社が流したデマだ、とする言説もありました。

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というわけで、このシングル盤はクリスマスシーズンをターゲットにしたトラディショナル楽曲アレンジのワンショット契約なノベルティレコードというのが結論のようです。
上の画像は当時の英国ニュー・ミュージカル・エクスプレス誌かメロディ・メーカー誌に載った、このレコードの宣伝広告。切り抜き済で入手したため掲載誌が定かではありません(蛇足ですが切り抜き裏面はジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell)嬢のジャコパス・コラボ直前な傑作アルバム「夏草の誘い(The Hissing of Summer Lawns)」の広告断片です)。

ずいぶんと長くなってしまったので、ダグ氏のその後などのご紹介は次の米国盤紹介の項で。

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