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Ring 'O Records 05 Graham Bonnet 02 [リング・オー・レコード]

77年9月にはアルバム発売も控えていたボネット氏、豪州での好成績が弾みになったのか前作から3ヶ月も経たないうちに第二弾シングルをリリースします。

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Danny c/w Rock Island Line (2017 106 )

英国発売は77年8月12日。また、このシングル盤から小さなレーベル・ロゴを全面にあしらったポケットタイプの厚紙スリーブが新たに用意され、裏面にはアーティスト紹介の簡単なライナーノートが載せられることになります。この形態でのリリースはプロモーション盤とみなされていますが、この後の別アーティストのリリースを含めてレーベル面にはプロモーション盤や見本盤を示す表記はありません。見かける頻度的にリリース直後は普通にこの形態で売られていたのかもしれません。

ライナーにはレコーディング場所や参加メンバーとボネット氏の略歴が書かれていて、前作「It's All Over Now, Baby Blue」が No.1 in the Needletime playlist charts とされています。Needletime のニードルとは、アナログレコードの溝を再生するレコード針のこと。この頃の英国ラジオ界では、レコード会社の利益=レコード盤の売上を守るために、レコード盤を用いての一日のオンエア可能時間が決まっていました。しかしながらアーティストが新曲を出したとき、ラジオやテレビで一般客の耳に触れ気に入ってもらわなければレコードも売れません。そこで、各レコード会社が売りたい自社アーティストをオンエアしてもらおうと限られた時間枠を巡ってしのぎを削っていたらしい。すなわちニードルタイム・プレイリストで一位になるということは、それだけゴリ押しされていたということなのですが、その割に前作は英国の売上チャートでは圏外に終わっています。

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一般的には、薄紙カンパニー・スリーブなこの形態で市場に並びました。

A面は一聴してオールディーズのカヴァーだな、とわかるハチロクのロッカバラード。50年代からエルヴィス・プレスリー御大をはじめとする旬のシンガー達に多数の楽曲を提供してきた Ben Weisman氏とFred Wise氏のソングライター・チームによる楽曲。元々は58年エルヴィス主演第四作目の映画「闇に響く声(King Creole)」(18歳のジョンが当時の女友達セルマ・ピクルズ嬢と観に行き、眼鏡をかけたがらないジョンにナイロンのセクシーな広告をセルマ嬢がどんな広告か説明しつつ、周りの女の子たちがスクリーンのエルヴィスに向けて嬌声を上げるのを見て「いい商売だ」と思ったという映画)の挿入歌として書かれたもので、劇中のエルヴィスの役名がダニー・フィッシャー。なぜだかエルヴィスの録音は当時のサントラ盤に収録されず、有名どころでは59年にクリフ・リチャード(Sir Cliff Richard)卿がシングル盤リリース。そんな経緯から歌詞中「Danny」と歌うところを「Lonely Blue Boy」と変え、そちらをタイトルとしてカヴァーされることもあります。

奇しくもボネット氏の「Danny」リリースの4日後、77年8月16日にエルヴィスは42歳の若さで亡くなってしまい、翌年のレア音源を含む編集盤「エルヴィス・プレスリーの歴史Vol.3 (Elvis: A Legendary Performer Volume 3)」でエルヴィス歌唱の「Danny」が初めてリリースされました。
近年では「Lonely Blue Boy」のタイトルでエルヴィス・コステロ氏やBill Wyman's Rhythm Kingsもカヴァーしています。

カップリングの「Rock Island Line」は若き日のビートルたちも夢中になり英国スキッフル・ブームの起爆剤となったロニー・ドネガン(Lonnie Donegan)MBE 、55年リリースの出世作(楽曲自体は1929年から歌い継れる米国発祥のフォークソング)。ボネット氏歌唱のアレンジもフィドルをフィーチャーしてカントリー&ウエスタンとスキッフルの融合のようなゴキゲンな出来栄え。

そんな「Danny」は、豪州ではカップリングを「Wino Song」(この楽曲も9月発売のアルバムからのカット。アルバム中唯一のボネット氏オリジナル書き下ろし曲)に変えてマーキュリーからリリースし、チャート79位を記録しました。

さて、グラハム・ボネット氏の経歴でわたくしが「おや?」と思ったのは、1968年にマーブルス(The Marbles)というアーティスト名でビージーズのギブ三兄弟書き下ろしの「オンリー・ワン・ウーマン(Only One Woman)」というヒットを飛ばしていること。マーブルスというのは、ボネット氏とほとんど同い年のいとこ=トレヴァー・ゴードン(Trevor Gordon)氏とで組んだデュオ・グループ。結成の経緯は…

ゴードン氏一家が50年代後半にオーストラリアへ移住し、ゴードン氏はハイスクール時代に豪州で芸能活動を開始、テレビのレギュラー番組を得るほどの人気者となり、まだ豪州在住でデビュー直後で更に年齢も近かったビージーズ(バリーはふたつ上、ロビンとモーリスはひとつ年下)と64年に知り合います。

ずっと英国で育ったボネット氏も十代から地元のバンドでギターと歌を始め、67年20歳の頃、豪州から戻ったゴードン氏と合流し、英国に拠点を移していたビージーズ経由でロバート・スティグウッド氏が気に入り契約、バリー・ギブ氏命名マーブルスとして68年デビューとなります。

マーブルスはシングル3枚をリリースし、その6楽曲すべてがギブ兄弟からの提供曲やカヴァー曲でした(英国では最後の一枚のみカップリング違いでニール・セダカ御大でお馴染みのヒット曲「悲しき慕情(Breaking Up is Hard to Do)のカヴァー)。68年8月発売の一枚目「オンリ・ワン・ウーマン」は英国で最高位5位のヒットとなり(レインボーのリッチー氏もこの曲の歌唱でボネット氏に白羽の矢を立てたらしい)ましたが、その後は尻すぼみ。69年内には志向の違いからデュオは分裂状態となり、解散後の70年に、それまで録りためていた曲を加えて唯一のアルバムがリリースされました。

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画像は、そのアルバムの94年リイッシューCDオーストラリア盤「Marble-ized(Polydor – 523 866 2)」。LPオリジナル盤にシングル2枚目B面曲が一曲追加されています。

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マーブルスは日本でも69年に当時の日本グラモフォン社のポリドール・レーベルからシングル盤が3枚ともリリースされています。参考までにレコード番号を載せておくと「オンリー・ワン・ウーマン/キャンドルの陰で(DP-1611)」「君を求める寂しい心/君を愛す(DP-1635)」「誰も見えない/リトル・ボーイ(DP-1660)」。CDジャケットで分かる通りイケメン二人組(ボネット氏はたぶん向かって右側)ですから、当時のミュージック・ライフ誌でもアイドル的にグラビアを飾り、ビージーズとの絡みから豪州アーティストと誤解もされていたようです。

以前ご紹介したCarl Groszmann氏も豪州時代にビージーズとお仕事していましたし、リング・オー・アーティストを追っていくとビージーズの名前が頻出します。そしてビージーズと言えば、ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタイン氏と因縁浅からぬ、ロバート・スティグウッド(Robert Colin Stigwood)氏の名前が思い出されます。次回は、そのへんのところを掘り下げてみたいと思います。

なお、マーブルスのTrevor Gordon氏は、2013年1月10日ロンドンで、64歳の若さで亡くなっています。Rest in Peace.

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