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Ring 'O Records 04 Colonel (Doug Bogie) 02  [リング・オー・レコード]

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Away in a Manger  c/w  Cokey Cokey  by  COLONEL DOUG BOGIE


リング・オー・レコーズの北米でのディストリビューターはキャピトルレコーズのはずなのですが、なぜだかこのタイトルの米国盤レコードは別の大手レーベルのひとつだったABCレコーズから、リング・オーの表記は一切無しでリリースされています(時期を同じくして、翌年1月下旬にEMIとのレコーディング契約が切れるリンゴが、 500万ドル相当、5年間のレコーディング契約でABCレコーズに移籍する、という噂もありました)。

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英国盤とはA/B面を逆にしての75年12月8日発売で、もろにクリスマス市場にロックオンしたノベルティ盤としてのリリース。サイドを逆にしただけで両面とも音源は英国盤と同一なのですが、後に少し混乱を招くミス表記がレーベルにあります。
もう一度ABC盤のレーベル画像のタイム表記を見てください(画像上クリックで拡大されます)。わざわざA面にした「AWAY IN A MANGER」のタイム表記が3分54秒。しかし残念ながらロングヴァージョンということではなく、音源は英国盤に同じくあっさり3分行かずに終わります。単純に2と3の文字打ち間違えがスルーされてしまったようです。

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こちらはプロモーション用のリリースで片面ステレオ、もう片面モノラルでの収録。ご丁寧にイントロ11秒と表記が加えられているのに、両面きっちり3分54秒と誤記されています。

でもまあなんにせよ、ダグ・ボギー大佐はリング・オーとの契約で得た400ポンドのアドバンスで、当時母親と暮らしていたアパートの為に中古のカラーテレビを購入、という成果でリング・オーとの契約は終わります。

その後もダグさんはレコーディングエンジニアの仕事に精進し、翌々77年には、元ヤードバーズ(The Yardbirds)のキース・レルフ氏とジム・マッカーティ氏がキース氏の妹さんであるジェーン・レルフ (Jane Relf)嬢をヴォーカリストとして69年に立ち上げたバンド=元祖ルネッサンス=その後ビジネス上のあれこれでルネッサンスは別バンドに生まれ変わり、76年にはキース氏の不慮の事故による夭折などを経て、ジェーン嬢が亡き兄者の遺志を継ぐ形で=イリュージョン(Illusion)と改名しての再デビューアルバム「醒めた炎(Out of the Mist)」に バンドと共にプロデューサーとしてクレジットされ、もちろんエンジニアとしても携わるくらいの存在となっていました。

スタジオワークの空き時間にもせっせと自作曲のデモテープ作りをしていたダグさんは、エジンバラのスタジオでDavid Valentine氏という人物に出会います。
この方は鍵盤奏者で曲も書けヴォーカルも取れたので意気投合し、一年間かけてふたりでデモを完成させ、ロスアンゼルスに飛んで売り込みをかけます。A&Mレコーズに気に入られリリース契約を結び、ベーシストとドラマーを迎えて、ダグさんがギター、David Valentine氏がキーボードとヴォーカルという布陣の「R.A.F.」と名付けたバンドを結成。同名タイトルのアルバムで1980年にデビューします。ダグさんによると、R.A.F.というのは「Rich And Famous」の略だそう。また、売り込みに際して自身が以前クイーンに在籍していたことは、一切言わなかったそうです。

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翌81年には、新たなキーボーディストを加え5人編成となり、セカンド・アルバム「The Heat's On」を発表。このアルバムリリースの際、ジャケットのイメージについてアートディレクターと話し合ったとき、ダグさんは自身が気に入っていたシュールレアリスムの画家、ルネ・マグリット(René François Ghislain Magritte)氏の作品「The Pleasure Principle(快楽原則)」について話したところ、そのオリジナルをA&Mレコーズの創業者、ハーブ・アルパート氏が所有していたので、マグリット氏直筆の絵画でセカンド・アルバムのカバーを飾ることが出来たそうです。

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ファースト、セカンド共に日本では発売されていません。米国と英国他欧州諸国のいくつかでリリースされ、各々のアルバムから1~2曲のシングル・カットもあったのですが、まったくの鳴かず飛ばず。ダグさんたちは、それでも3枚めに向けてデモ制作をつづけていましたが、A&Mはそれ以上動かずバンドは解散、ダグさんはロックミュージシャンとしての道には見切りをつけ、82年にエジンバラで映像制作を軸とした自分の会社を立ち上げて今に至ります。

R.A.F.のサウンドですが、80年当時全盛だったスーパートランプ(Supertramp)やフォリナー (Foreigner) をスケールダウンした感じと言うか、シンセで彩られたポップ寄りロック、というありきたりな印象で、全体的に楽曲の魅力に乏しいかな、と。両アルバムとも日本のアマゾンでもデジタル配信されているので、興味のある方は聴いてみてください。David Valentine氏が86年にもう一枚、R.A.F.名義でアルバムをリリースしており、アマゾン配信でのアーティスト名義は、3枚とも「RAF and David Valentine」となっています。

現在でもDoug Bogie氏は、@DougBogieでツイッター、@doug.bogieでインスタグラムにて近況を発信されています。

2010年に海外ネット掲示板内のドラマーに関する複数のトピックにHarvey the Roadieと名乗る、1960年代の英国で十代を過ごしたのであろう人物(本人曰くジミー・ペイジ氏より数年歳下、書き込み当時60歳を自称)が現われ、ジミー氏が去った後のヤードバーズとの思い出話などとともに、自身のドラム演奏で唯一リリースされたのは、仲間のDoug Bogieとふたりだけで録音したリング・オーからのシングル盤両面だった、という書き込みをしていました。真偽不明ですが書き添えておきます。

さてここまで、アルバム1タイトルにシングル盤4タイトルを地道にリリースしてきたリング・オーですが、このタイトルを最後に、迎えた76年通じてまる一年間以上リリースが途絶えてしまうことになります。


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