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Ring 'O Records 01 David Hentschel 02 [リング・オー・レコード]

New York Magazine 19750303.jpg
1975年3月3日付 New York Magazine の広告

アルバム「Ringo」収録曲全曲をARPシンセでインストゥメンタルに料理したこのアルバムは、リンゴが持つ自身の楽曲出版社名と同じ「Startling Music」と名づけられました。

1974年9月に、その後世界的に話題を呼んだ富田勲氏によるムーグ・シンセサイザーミュージック作品群の処女作にあたる「月の光」が、保守的な日本のレコード会社各社に断られた挙句、米RCAレコードより「Snowflakes are dancing」というタイトルで全米リリースされ、徐々にシンセミュージックが注目を集めていた頃なので、会社側もそれなりの期待感を持っていたと思われます。

https://www.youtube.com/watch?v=wD-b6mU3SYQ

MW2117title.gif

楽曲によっては、シンフォニック系のプログレっぽく聴けないこともない曲もいくつかあるのですが、歌メロを忠実になぞってしまうとファミレスのBGMとかにありがちなサウンド、という印象になってしまい、このアルバムは、リリース後、ほとんど話題になることもなく、セールス的にも惨敗だったようです。

個人的には、歌メロが露骨に出てこないA1、A2、A5のPart1や、教会音楽風の荘厳なオーバーチュアを3分20秒余りに渡り冒頭にくっつけたB1(本編に入るとファミレスBGM風)、若きフィル・コリンズ氏の手数ドラムが炸裂する当時流行のフュージョン風味(この頃はまだクロスオーバー・ミュージックて呼んでいたっけかな?)なB2、B5などは面白く聴けました。とくにA2なんて、知らずに聴いたら同じ曲とは思えないんじゃないかな。
ちなみにビートルズメンバー参加音源マニアの方には、A3が要チェック。リンゴがFinger Clicks(ようするに指パッチンですね)で参加しています。とても控えめな音で録音されています。

あと、ムーグと言えば、このアルバムの日本盤LPは、オビで大嘘をついています。
(クリックで拡大出来ます)

MW2117obi.jpg

わかりました?デヴィッドさんの愛機はARP(アープ)社のシンセサイザーです。ムーグ(本来の発音はモーグだそうな)社とアープ社はライバル同士。
無難に、シンセサイザーで演奏した、ってしておけばよかったのにね(笑。

リリース状況は英米日の他、アルバムは、フランス、ドイツ、オーストラリアで、シングルは同カップリングで、フランスとドイツでのリリースが確認されています。

セールス的には失敗作に終わった本作ですが、デヴィッドさんにとっては、このアルバム制作が自身の次のステップに向けての大きな足がかりとなりました。そのキーパースンとなったのが、このアルバムにドラマーとして参加したフィル・コリンズ氏。
ビートルズ大好きのフィル氏とデヴィッドさんは意気投合し、ちょうどピーター・ガブリエルが脱退して変革期にあったフィル所属のバンド=ジェネシスのニュー・アルバムをバンドと共に共同プロデュースすることになります。

そう言えばフィル氏は、90年代のインタビューで、ジョージの「All Things Must Pass」セッションに呼ばれてコンガを叩いたという逸話を披露していました。おそらくこのとき、フィル氏とデヴィッドさんはすでに顔合わせしていたと思われます。奇しくもフィル氏は1951年1月30日生まれでデヴィッドさんとはきっかり一歳違い。30歳前後の一流ミュージシャンばかりが集った現場で、まだ10代だった浮いているふたりが言葉を交わしていた可能性はあると思います。

ジェネシスとは、1976年リリースの「A Trick of the Tail」から1980年の「Duke」までのスタジオ・アルバム4作で、エンジニアとバンドとの共同プロデューサーを勤め、「Duke」では、ジェネシスとしては初めて、英国アルバムチャート1位を獲得しています。

この頃のジェネシスだと、この曲が好き。
https://www.youtube.com/watch?v=vRD49AFxJVI

ちなみに、フィル氏と一緒に「Startling Music」セッションに参加した、ギターやバンジョーでクレジットされている Ronnie Carylという人は、1969年にフィリップス系列の Fontana Records からデビューした Flaming Youth というバンドをフィル氏と組んでいたバンド仲間(このときは、ベース&ギター担当。もうひとりのギタリストと曲によってギターとベースをとっかえっこしていた模様)で、シングル3枚、アルバム1枚を残した後、1970年、共にジェネシスのオーディションを受け、フィル氏採用、ロニー氏不採用となったそうな。

えらく若いフィル氏の雄姿が拝めます。
https://www.youtube.com/watch?v=4fj9JZhG8s4

その後も陽が当たらないながら地道に活動をつづけていたようで、約四半世紀後の1996年、フィル氏のバックバンドのバックボーカリスト兼リズムギタリストとしてツアーを巡ることになる、という、なんだかほっこりするお話もあります。

ロニー氏の公式サイト
https://sites.google.com/site/ronniecarylofficialsite/biography-en-1

「Startling Music」のセッションには、もうひとり、David Cole というドラマーも参加していて、シングルカットされた「オー・マイ・マイ」だけ、なぜだかこの人が叩いているのですが、この人に関しては情報が探せませんでした。

デヴィッドさんはその後も、エンジニア、プロデューサー、映画音楽などで数々の実績を残し、現在も第一線で活躍されています。詳しくはデヴィッドさんのサイトのProfileからDiscographyの欄をご覧ください。

この項の締めくくりは、そんな裏方気質のデヴィッドさんが自身の名義で出した、数少ない(であろう)レコードのうち、わたくしが唯一入手出来た一枚です。
1983年英国リリースの同名映画サウンドトラック盤シングル「Educating Rita c/w I Can't Dance」(mercury RITA1)。
作曲、アレンジ、プロデュース、エンジニア、すべてデヴィッドさんです。

RITA 1.jpg

A面
https://www.youtube.com/watch?v=GzQbNzP4eUA
B面
https://www.youtube.com/watch?v=kIpO74dOccg

「Educating Rita」は、1983年公開のイギリス映画。日本では劇場未公開ですが「リタと大学教授」というタイトルでソフト化されました。
けっこう評判の良い映画で、その年のアカデミー賞、英国アカデミー賞、ゴールデングローブ賞に他部門でノミネートされ、いくつか受賞しています。現代版「マイ・フェア・レディ」と評されたそうな。

そんな感じで、デヴィッド・ヘンチェルさんの今後益々のご活躍をお祈りしつつ、ご紹介を終わりたいと思います。
それではみなさま、ごきげんよう。

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