2枚のシングル盤リリース後の1977年9月5日、いよいよボネット氏のアルバムが英国でリリースされました。リング・オー・レコーズにとって2枚めのLPリリースです。

と、その前に、デビューシングル「It's All Over Now Baby Blue c/w Heroes on my Picture Wall (2017 105)」のレーベル違いバージョンが入手出来たのでご紹介。



レーベル面が赤いこのシングル盤は、オランダ・プレスで英国輸出用、77年6月から出回ったセカンド・プレスらしくレコード番号は同じです。リング・オーでこのレーベルデザインが採用されたシングル盤は、このタイトルしかありません。


話を戻します。


GRAHAM BONNET  by  Graham Bonnet
(2320 103)






英国の他、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、西ドイツ、オランダでもマーキュリーからリリース(レコード番号は各国共通9199 133)され、豪州でアルバムチャート最高位7位、ニュージーランドで11位を記録しています。




日本でも日本フォノグラム社(当時)傘下のマーキュリー・レコードから「スーパー・ニヒリズム」という邦題が付けられ、だいぶ遅れての78年1月にリリース(RJ-7332)。その後、ボネット氏がレインボー参加「信州りんごw」で話題になった後の82年「スーパー・ニヒリズム/グラハム・ボネットⅠ(ファースト)」とタイトルがバージョンアップして再発売(25PP-70)、上画像は再発売時のもの。


88年01月25日には日本フォノグラムのヴァーティゴ・レーベルからリング・オーとは無関係なレインボー脱退後の81年リリースなサード・ソロ・アルバム「孤独のナイト・ゲームス(LINE-UP)」との2in1で一曲(B-3)オミットされてCDリリース(33PD-364)、ずっと時を経た2009年12月16日には、98年に設立されたクラシックロック系リイッシュー主体のインディーズ・メーカー「エアー・メイル・レコーディングス(Air Mail Recordings)」から紙ジャケでボーナス1曲入り単独CD(AIRAC-1558)もリリースされました。





日本盤ライナーノートは、小倉エージ氏(RJ-7332)、伊藤政則氏(25PP-70)、有島博志氏(33PD-364)、舩曳将仁氏(AIRAC-1558)が担当されています。82年の再発盤ライナーではリング・オーについては一言も触れられておらず、88年の2in1CD化でも「イギリスのスモール・レーベル」という素っ気無い表現で片付けられています。


日本盤ライナーに載っていない興味深いエピソードとしては…



70年代初頭、ロイ・ウッド氏が居た極初期のエレクトリック・ライト・オーケストラ(Electric Light Orchestra)=ELOに誘われたのですが、彼らの希望が、ベースを弾きながら歌うこと、だったので、ギターを弾きながら、なら演ったことあるけれど、ベース&ボーカルは未経験だったので断った、というお話。でも後年のインタビューでは、その頃の彼女に「バンドに入ったらまたあちこちツアーで巡って知らない女の子にキャーキャー言われちゃうんでしょ?」って拗ねられてやめといた、ともおっしゃっています。


更に72年には「スタック・イン・ザ・ミドル・ウィズ・ユー」(Stuck in the Middle with You)」の大ヒットを飛ばすも主要メンバーであったジェリー・ラファティー(Gerry Rafferty)氏が一時脱退してしまった英国のバンド、スティーラーズ・ホイール(Stealers Wheel)に誘われたり(この時もベース&ボーカルとして)や、後にパンクなメタルサウンドで頭角を顕すモーターヘッド(Motörhead)のベース&ボーカル=故レミー・キルミスター(Lemmy Kilmister)氏が70年代中盤まで在籍していたサイケデリックバンド=ホークウインド(Hawkwind)にも、おそらくレミー氏加入前に誘われていたようです。



また、ライナーでは今一あやふやなボネット氏とリンゴの若き日の遭遇については…


ボネット氏が生まれ育ったイングランドのリンカーンシャー州・スケッグネス(Skegness)は海沿いの町で夏のリゾート地として若者たちで賑わう場所。そこにバトリンズ(Butlins)と呼ばれるホリデーキャンプがあったのですが、これは英国の起業家、ビリー・バトリンなる人物が第二次世界大戦前から屋台商売を皮切りに英国各地の海沿いにホリデーキャンプを作り、70年代には全英10ヶ所での営業を誇る一大チェーンの総称がバトリンズ。で、スケッグネスのバトリンズはそのうちのひとつで最初に作られた場所でした。現在でもバトリンズ・リゾートとしてスケッグネスを含め英国海沿い3ヶ所で営業しているようです。


1960年から62年まで、ビートルズ以前にリンゴが在籍していたロリー・ストームとハリケーンズ(Rory Storm&Hurricanes)がバトリンズに雇われて5月から8月末までのシーズン中に各地のバトリンズで演奏することになります。


ボネット氏の記憶によると61年、スケッグネスのバトリンズにハリケーンズが来たときロリー氏がなぜだか不在で、バトリンズに勤めていた隣人が「良い歌手がいる」と近所で評判だったボネット氏をバンドに推薦して歌ったけれど、まだ13歳ということで駄目だった、というものですが、マーク・ルイソン氏の調査では62年のとある日、スケッグネスのバトリンズでの午後のセッション時に参加自由の「Pop Singing Contest」という催しが開かれ、14歳だったボネット氏がハリケーンズをバックに歌ったが優勝はしなかった、という記述でした。いずれにしても遭遇は確かにあったようですが、これで「知り合い」と言えるかは???…


ちなみに、ビートルズがデビュー前から親しくしていた音楽ジャーナリスト、ビル・ハリー(Bill Harry)氏は、ハリケーンズがスケッグネスで出演中の62年初夏のある日午前10時、ジョンとポールがわざわざキャンプまで来てリンゴを譲って欲しいと交渉、リンゴは受諾し、その年の8月からビートルズの一員となった、という逸話を記しています。


ここまで書いて、ボネット氏が音楽界入りするきっかけともなったロバート・スティグウッド氏とリング・オーの話に移ろうと思っていたのですが、想定外に長くなったので次の機会に。


最後に日本盤CD画像を。